鈴木貫太郎記念館

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概要

ロケーション
屋内屋外雨の日OK
目安の滞在時間
寄り道(~1時間)半日(1~3時間)1日(3時間~)
オススメ年齢
0~1歳2~3歳4~6歳7~9歳10~12歳中学生高校生
予約の有無
予約不要予約可能予約必須

チェックポイント

施設の設備
授乳室ありおむつ交換台ありトイレ広めベビーカー安心車いす安心ベンチありエレベーターあり大人も楽しいお土産あり平日OK休日OK
オススメの季節
ジャンル
科学天文歴史・遺跡芸術ものづくり社会科見学産業・工業食育植物動物海の生き物景色自然街並み運動自由研究文学環境・エコテクノロジー伝統工芸建築デザイン

基本情報

営業時間 09:00–16:00
定休日 月曜日・木曜日(祝日の場合は開館)、年末年始
料金
  • 大人(大学生) 無料
  • 高校生 無料
  • 中学生 無料
  • 小学生 無料
  • 未就学児 無料
住所 千葉県野田市関宿町1273番地
アクセス 東武野田線(東武アーバンパークライン)川間駅から朝日バス「境車庫」行きに乗車(約30分)し、関宿台町バス停下徒歩2分。東武伊勢崎線東武動物公園駅から朝日バス「境車庫」行きに乗車(約30分)し、関宿台町バス停下徒歩2分
電話 04-7196-0102
公式サイト https://www.city.noda.chiba.jp/shisetsu/bunka/1001064.html

口コミ

★★★☆✩
3.8 (199件)
Yuto ★5
一言で言えば、個人的に、日本人なら誰もが行くべき場所だと思いました。
ちょうどガイドさんがいらして建物の周囲そして館内の展示品を説明してくれました。nn日本を終戦に導いた鈴木貫太郎総理(以下敬称略)の終の住処の関宿。何度の死の危険を生き延び日本を守ったこの方は、まさに国士だと思いました。nn江戸時代の慶應生まれ、日清・日露戦争をくぐりぬけ人望もあった鈴木。昭和天皇の信頼も厚く、小磯内閣退陣後、総理に任命されます。巧みな政治手腕により抗戦派を落ちつけ、命の危険に晒されながら、終戦を導きます。nn先のビデオで分かる通り、奥様のタカさんも肝が据わっている方です。天皇陛下の幼少時に保母さんとして仕えていた方。二二六事件で、鈴木が出血した時も額を抑え出血を抑えてくらい肝が据わっている。医学的見地もあった。nn1枚目の写真は見切れていますが、『萬世のために太平を開く』と書いております。玉音放送で昭和天皇が言われた言葉の一節。鈴木も特にこの言葉を用いていたと言われています。nn2枚目の写真の石碑には、吉田茂による揮毫があります。学習院の教師と生徒との関係が以後も続き、終戦後も吉田が鈴木を枢密院議長をお願いしていました。nn本館のオープンは昭和33年。妻タカさん、息子の一さん、首相書記官だった迫水常久などが来席しています。nn展示品はワンフロアに集まってますが、ガイドさんの丁寧な説明、妻タカさんの2.26事件の回想インタビューのビデオがあるので、30〜40分は要すると見た方いいです。nn現代日本の礎を築いた鈴木貫太郎を知りたい方はぜひこちらに訪問ください。
Y O ★4
「歴戦の海軍軍人でもあり戦争を終わらせた総理大臣でもある人、鈴木貫太郎氏を後世に伝える博物館、2030年までにリニューアルされる予定です。」鈴木貫太郎(1868~1948)氏は大阪で生まれ後に3歳の頃にこの地へ引っ越し育った。(父親は江戸時代ここにあった関宿藩のお侍さんであった。)その後日本海軍に海軍士官として志願し日露戦争(1904~1905)では小型の軍艦である水雷艇の指揮司令官として活躍し、かの日本海海戦(1905年5月27日~28日)においては数隻のロシア海軍の軍艦を撃沈している。海軍大将まで昇進した鈴木氏は海軍の現場部隊である艦隊全体を指揮する「連合艦隊司令長官」や海軍の作戦を考えたり人事を決めたりする「海軍軍令部長」といった海軍の最高役職を歴任しいよいよ引退という時に当時の昭和天皇が「是非とも私を支えてほしい」として今度は天皇陛下の側近である「侍従長」として働いた。1936年2月26日、「天皇陛下をたぶらかして私利私欲を尽くす敵を排除しよう」という日本陸軍の青年将校らによるクーデター事件に巻き込まれてしまい東京の自宅を襲撃され鈴木氏は計四発もの弾丸を体に打ち込まれてしまう、(とどめをさそうと刀を抜いたクーデター軍の将校を鈴木氏の奥様である鈴木たか様が「これ以上傷つけないでください、それでもやるなら私を斬ってからしてください」と決死の覚悟で思いとどめさせたそうです。)重傷を負い一時は心肺停止に陥りながらも回復した鈴木氏は昭和天皇の元で働きました、戦争が始まり次第に戦局が悪くなっていた1945年4月7日第42代内閣総理大臣に就任し戦争終結と和平交渉を模索しそれに反対する本土決戦を叫ぶ軍部との間で様々な困難が起きました、最終的には昭和天皇の判断で「無条件降伏」するという事になり8月15日日本は「戦争に負けたことを昭和天皇自ら国民に伝えるラジオ放送・玉音放送」が放送され同日鈴木氏も総理大臣を辞しました。(ちなみにこの前夜に終戦に反対する陸軍部隊によって鈴木氏の自宅は放火され全焼してしまい、鈴木氏は間一髪のところで逃げ込んでいる)大臣を辞した後に残務処理も終わった鈴木氏はこの地「関宿」に残っていた両親の家に移り住み亡くなるわずかな期間余生を悠々自適に過ごしていたそうです。この記念館は1963年にその鈴木氏が最期まで過ごした家の跡に建築されました、老朽化と2019年の台風による被害で建物は現在一部のみを見る事ができ、展示品の多くも近くの「関宿城」やその他の博物館に移設しております、入館料は無料、駐車場も無料です、展示物の説明のためにガイドさんがついてくれます。
作田尚穂 ★4
関宿城博物館で企画展を見学した帰りに見学しました、展示室は、雨漏りしたために展示室は、縮小していました、職員さんの説明を聞くことができました。

地図

出発地点からのアクセス
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