渋沢史料館

概要

ロケーション
屋内屋外雨の日OK
目安の滞在時間
寄り道(~1時間)半日(1~3時間)1日(3時間~)
オススメ年齢
0~1歳2~3歳4~6歳7~9歳10~12歳中学生高校生
予約の有無
予約不要予約可能予約必須

チェックポイント

施設の設備
授乳室ありおむつ交換台ありトイレ広めベビーカー安心車いす安心ベンチありエレベーターあり大人も楽しいお土産あり平日OK休日OK
オススメの季節
ジャンル
科学天文歴史・遺跡芸術ものづくり社会科見学産業・工業食育植物動物海の生き物景色自然街並み運動自由研究文学環境・エコテクノロジー伝統工芸建築デザイン

基本情報

       
営業時間 10:00–17:00
定休日 月曜日(祝日の場合は開館)、祝日の翌日(翌日が土・日の場合は開館)、年末年始、臨時休館日
料金
  • 大人 300
  • 中高生 100
  • 小学生 100
  • 未就学児 無料
住所 東京都北区西ヶ原2-16-1
アクセス JR京浜東北線 王子駅 南口より徒歩5分、東京メトロ南北線 西ヶ原駅 1番出口より徒歩7分、都電荒川線 飛鳥山停留場より徒歩4分
電話 03-3910-0005
公式サイト https://www.shibusawa.or.jp/

口コミ

⭐ 4.1 (529件)
ぎりしあこいん ★5
明治期の実業家として有名な渋沢栄一の史料館。n1917(大正6)年竣工の洋風茶室・晩香廬と1925(大正14)年竣工の洋館・青淵文庫も、本館のチケットで入ることができます。nn史料館は渋沢栄一の生涯が年齢ごとに展示されています。慈善事業も含めてとても多くの足跡を残した方であるため、内容はコンパクトであるにも関わらず展示パネルが多いです。n各展示コーナーの引き出しを開けると資料などが収められているのですが、誰もそこまで見ていないでしょう。n他に、小さな企画展示室もあります。nn晩香廬と青淵文庫は余り大きな建物ではありませんが、大正時代の洋風建築を見ることができます。nnなお、晩香廬と青淵文庫の周辺が旧渋沢庭園とされていますが、整備された日本庭園というわけではありません。
ダダチャンネル ★4
渋沢史料館は、近代日本経済社会の基礎を築いた渋沢栄一[1840(天保11)~1931(昭和6)年、号は「青淵」(せいえん)]の思想と行動を顕彰する財団法人である「渋沢青淵記念財団竜門社(現 公益財団法人 渋沢栄一記念財団)」の付属施設として、1982(昭和57)年、渋沢栄一の旧邸「曖依村荘」跡(現在東京都北区飛鳥山公園の一部)に設立された登録博物館です。n当初の渋沢史料館は、旧邸内に残る大正期の2つの建物「晩香廬」と「青淵文庫」(いずれも国指定重要文化財)を施設として開館しました。その後1998(平成10)年3月に本館を増設しました。n資料館でチケットを買うと上記3館の見学が出来ます。メトロ1日券の提示で260円の割引料金になりました。
原和 ★4
渋沢史料館は、王子駅の南東400mほどの東京都北区西ケ原の飛鳥山公園の中にある博物館です。nn昭和6年(1931年)渋沢栄一が死去し、旧渋沢家飛鳥山邸(曖依村荘)の土地と建造物が遺言により財団法人竜門社に遺贈されました。n昭和21年(1946年) 財団名を渋沢青淵記念財団竜門社に改称しました。n昭和57年(1982年) 近代日本経済の父と呼ばれる渋沢栄一の生涯と功績を後世に伝えるため、彼の旧邸宅「曖依村荘(あいいそんそう)」跡地に渋沢史料館が開館しました。n平成10年(1998年)常設展示などを行うための新たな本館(日本館)が増築され新築開館しました。n平成15年(2003年)財団名を渋沢栄一記念財団に改称しました。n令和2年(2020年)には、展示内容や施設の一部がリニューアルオープンされました。nn1階に閲覧コーナーとミュージアムショップ、2階に常設展示室と企画展示室があります。n渋沢栄一の「道徳経済合一説」の理念や、彼が生涯で関わった約500の企業の設立・育成、約600の社会公共事業に関する資料を収蔵・展示しています。n彼の思想と行動を検証し、日本の近代化における役割を学ぶことができる重要な施設です。nn渋沢栄一は、天保11年(1840年)武蔵国榛沢郡血洗島村(現・埼玉県深谷市血洗島)で百姓の渋沢市郎右衛門の長男として誕生しました。nその後、江戸へ出て、一橋家家臣に取り立てられ、征夷大将軍となった徳川慶喜に従って幕臣となりました。フランスの首都パリで行われる万国博覧会(1867年)に将軍の名代として出席する慶喜の異母弟・清水家当主の徳川昭武の随員としてフランスへと渡航し、語学や諸外国事情を学び、先進的な産業・諸制度を見聞すると共に、近代社会のありように感銘を受けました。n大政奉還に伴い、慶応4年(1868年)し、謹慎していた徳川慶喜と面会し「これからは、お前の道を行きなさい」との言葉を拝受するも旧恩に報いるため、駿府(静岡)に留まり静岡藩に出仕しました。n1869年(明治2年)民部省に出仕し、直属の上司である大蔵大輔と井上馨の下で大蔵少輔、吉田清成らと共に造幣、戸籍、出納など様々な政策立案を行い、初代紙幣頭、次いで大蔵省三等官の大蔵少輔事務取扱となりました。n井上馨と共に退官後は実業界に転じ、第一国立銀行(現・みずほ銀行)や東京商法会議所(現・東京商工会議所)、東京証券取引所といった多種多様な会社や経済団体の設立・経営に関わりました。そのうち企業は約500社にもおよび、「日本資本主義の父」と称されます。n同時に東京養育院等の福祉事業、東京慈恵会等の医療事業、商法講習所(現:一橋大学)、大倉商業学校(現:東京経済大学)、高千穂高等商業学校(現:高千穂大学)等の実業教育、東京女学館などの女子教育、台湾協会学校(現:拓殖大学)の設立、二松學舍(現:二松学舎大学)第3代舎長就任等による私学教育支援や、理化学研究所設立等の研究事業支援、国際交流、民間外交の実践等にも尽力しました。nまた、『論語と算盤』の言葉に代表されるその道徳経済合一の思想でも広く知られています。n慈善事業や民間の外交など幅広く活動し、2度ノーベル平和賞の候補に挙げられました。そんな日本経済に大きな影響をもたらした渋沢栄一は、昭和6年(1931年)に91歳という年齢でその人生に幕を引きました。

地図

出発地点からのアクセス
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