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戸田市立郷土博物館
施設未連携のため情報が間違っている可能性があります
概要
ロケーション
屋内屋外雨の日OK
目安の滞在時間
寄り道(~1時間)半日(1~3時間)1日(3時間~)
オススメ年齢
0~1歳2~3歳4~6歳7~9歳10~12歳中学生高校生
予約の有無
予約不要予約可能予約必須
チェックポイント
施設の設備
授乳室ありおむつ交換台ありトイレ広めベビーカー安心車いす安心ベンチありエレベーターあり大人も楽しいお土産あり平日OK休日OK
オススメの季節
春夏秋冬
ジャンル
科学天文歴史・遺跡芸術ものづくり社会科見学産業・工業食育植物動物海の生き物景色自然街並み運動自由研究文学環境・エコテクノロジー伝統工芸建築デザイン
基本情報
| 営業時間 | 10:00–16:30 |
|---|---|
| 定休日 | 第2・4・5月曜日(祝日の場合は開館)、館内整理日(毎月末日。土・日・祝日の場合は開館)、年末年始、特別整理期間 |
| 料金 |
|
| 住所 | 埼玉県戸田市大字新曽1707 |
| アクセス | JR埼京線戸田駅西口から徒歩約15分。またはJR埼京線戸田公園駅西口より、tocoバス(下笹目行)「中央図書館」下車すぐ。 |
| 電話 | 048-443-5600 |
| 公式サイト | https://www.city.toda.saitama.jp/soshiki/377/ |
口コミ
★3
戸田市の歴史がわかるコンパクトな資料館です。
展示内容は埼玉県内の同種の資料館とよく似ていますが、中に江戸時代の農家を再現した物があり、これは良いですね。
よくあるはい、これが当時の農家です、と建物だけ再現した物ではなく、当時の服装をしたマネキンや、代表的な食事や道具類がかなりの数陳列されており、珍しいなと感じました。
荒川と共に歴史を紡いだ地域なので、もう少し荒川との関わりや歴史がわかる展示があるといいなという気がしますね。
コンパクトにまとまった良い資料館ですよ。
展示内容は埼玉県内の同種の資料館とよく似ていますが、中に江戸時代の農家を再現した物があり、これは良いですね。
よくあるはい、これが当時の農家です、と建物だけ再現した物ではなく、当時の服装をしたマネキンや、代表的な食事や道具類がかなりの数陳列されており、珍しいなと感じました。
荒川と共に歴史を紡いだ地域なので、もう少し荒川との関わりや歴史がわかる展示があるといいなという気がしますね。
コンパクトにまとまった良い資料館ですよ。
★3
土曜の昼に、初めて訪問したら、空いていた。図書館と同じ建物の3階にあり、駐車場も含めて無料で見学できます。戸田市の古代の地形、縄文時代から、昭和の団地が建設された時代までがコンパクトに展示されています。戸田市内で昭和の東京オリンピックでボート競技が開催されたので、オリンピックの展示もありました。
★3
戸田市の歴史を学ぶことができる資料館です。
埼玉県戸田市には弥生時代には人々が定住していて、集落の跡地が遺跡として発掘されています。平安時代後期に武士の時代が始まると、戸田市の西部は佐々目郷と呼ばれ、鶴岡八幡宮の社領となりました。
しかし、戸田が大いに栄えたのは江戸時代になってからです。江戸時代の戸田は幕府の直轄地または旗本領で、尾張徳川家の鷹場(鷹狩用の土地)がありました。
戸田には戸田河岸と呼ばれる年貢米を江戸に運ぶための中継地が置かれ、周辺の村の人たちはその仕事に従事していました。中山道2番目の宿である蕨宿にも近く、中山道を行き交う人たちが荒川を渡るための「戸田の渡し」が設置されました。
明治時代に戸田橋が架けられたことで渡しの歴史は終わり、大正時代には荒川の改修工事が行われました。1940年に完成した戸田ボートコースは、戦争による中止を乗り越えて、1964年の東京オリンピック会場となりました。1985年には埼京線が開通し、新宿や渋谷へのアクセスが向上しました。現在の戸田は東京に近いという地理的な優位性やボートレース場による収入により、埼玉県内有数の豊かな財政を維持して発展を続けています。
戸田の歴史を見ると、過去に度重なる荒川の氾濫によって村が破壊され、作物が穫れなくなる苦しみを味わったことが分かります。その一方で、荒川の氾濫が土地を肥沃にし、江戸時代には渡し船を始めとした水運業が栄えました。戸田にとって良いことも悪いことも荒川がもたらしたのです。このように戸田の街は荒川と切っても切れない関係であるということが分かります。戸田はまさに荒川と共にある街と言えるのではないでしょうか。
無料とは思えないぐらい充実した展示で、大変満足な内容です。しかし、撮影禁止の展示物が多かったところが少し残念でした。
埼玉県戸田市には弥生時代には人々が定住していて、集落の跡地が遺跡として発掘されています。平安時代後期に武士の時代が始まると、戸田市の西部は佐々目郷と呼ばれ、鶴岡八幡宮の社領となりました。
しかし、戸田が大いに栄えたのは江戸時代になってからです。江戸時代の戸田は幕府の直轄地または旗本領で、尾張徳川家の鷹場(鷹狩用の土地)がありました。
戸田には戸田河岸と呼ばれる年貢米を江戸に運ぶための中継地が置かれ、周辺の村の人たちはその仕事に従事していました。中山道2番目の宿である蕨宿にも近く、中山道を行き交う人たちが荒川を渡るための「戸田の渡し」が設置されました。
明治時代に戸田橋が架けられたことで渡しの歴史は終わり、大正時代には荒川の改修工事が行われました。1940年に完成した戸田ボートコースは、戦争による中止を乗り越えて、1964年の東京オリンピック会場となりました。1985年には埼京線が開通し、新宿や渋谷へのアクセスが向上しました。現在の戸田は東京に近いという地理的な優位性やボートレース場による収入により、埼玉県内有数の豊かな財政を維持して発展を続けています。
戸田の歴史を見ると、過去に度重なる荒川の氾濫によって村が破壊され、作物が穫れなくなる苦しみを味わったことが分かります。その一方で、荒川の氾濫が土地を肥沃にし、江戸時代には渡し船を始めとした水運業が栄えました。戸田にとって良いことも悪いことも荒川がもたらしたのです。このように戸田の街は荒川と切っても切れない関係であるということが分かります。戸田はまさに荒川と共にある街と言えるのではないでしょうか。
無料とは思えないぐらい充実した展示で、大変満足な内容です。しかし、撮影禁止の展示物が多かったところが少し残念でした。
